なんで、だろうか。
 なんで、こんなことになったんだろうか。
 なんで、世界はこうも変わってしまったのだろうか。
 なんで、俺はこんなことに―――――――

 思考を始める度に、頭の中を駆け巡っていくのは疑問。
 その疑問が苛立ちへと変わり、焦燥へと生まれ変わっていく。
 そして、僅かな後悔が頭の中に浮かぶ。
 ……立ち止まるつもりは無かった。
 それが例え、どんな時でも。
 迷う事無く、道を選ぶ事が出来る―――そう、思っていた。

 それなのに、俺は。
 俺は。
 俺は。
 俺は―――――――――







「ぁあああああ!!! ぐっ……あああ―――――ッ!!!」

 ……何の因果で、クラスメートに縛られた上に鞭で打たれてるんだ。
 後、かーさんは笑顔で見守ってないで助けてください。
 なのははなのはで兄の醜態をビデオに撮らないでくれ。マジに。




TRIANGLE HEART V / Side Story。

恭也独白―――あるいは毒吐く。




 それは、何の問題も無い穏やかな昼の一時に過ぎなかったのだが―――
 ……今思えば、何も無かった事が問題だったのかもしれないが。
 どちらにせよ、もう遅い事に変わりは無いのだが。
 ふと、目線を遠くへ向けると、唯一何時も通りの高町家の食卓が見えてくる。
 何一つ変わっていないその光景が嬉しい反面、少し……悔しい。
 俺はそれを守れなかったのだと。
 俺はそれを掴み取るコトが出来なかったのだと。

 湯気を立てたカップからは紅茶の良い香りが漂ってきて、俺の鼻を掠める。
 どちらかと言えば、緑茶党の俺だが……この香りを嗅ぐと、紅茶も悪くない――いや、素晴らしいと思う。
 それだけ、フィアッセが淹れてくれるミルクティーは美味い。
 そして、カップの横からは、なのはとレンの焼いたクッキーの香ばしい匂いも飛んでくる。
 さすがに、かーさんが作ったものには負けるが、市販の物の数倍は美味い。
 なにより……甘いものが苦手な俺のために、甘さが控えてある。
 ……口に出す事はしないが、こういう気配りは正直―――とても有り難い。

 そうやって久し振りに皆で囲む団欒の時間は、とても穏やかに時が過ぎ去っていく―――――



 ――――筈、だったのだが。

「―――ッ!!! ………………なんて、無様な」

 溜息と共に、自分の不甲斐無さに一人愚痴る。
 装備していた武装は全て解除され、全身を縄で拘束されている。
 縛りが厳しく、筋力で無理矢理縄を引き千切るのは無理だ。
 助けを求める事は不可能。
 眼前に居るのは敵と、傍観者のみ。味方は皆無だ。

 数的不利。
 武装解除。
 行動不能。

 御神の剣士として、これ程の窮地に立たされた事は無い。
 不安と焦りが混じりあい、苛立ちが冷静さを失わせていく。
 不味い。感情を整理出来ない、神経を研ぎ澄ます以前の問題になってきた。

 考えろ。
 考えろ。
 考えろ、考えろ、考えろ――――――!!!

 機会を窺い、隙を突く為に。
 迷うな。
 焦るな。

 策を考えてはすぐさま結論を導き――全てが否と判断される。
 思考停止―――直ちに、冷却。

 ―――次案構想開始。
 如何にして、この身を自由に動かすか。
 如何にして、敵を沈黙させるか。
 如何にして、逃走するか。

 どうする?
 どうする?
 ドウスル―――――?



「……さて、覚悟は完了したかな? 恭也」
「何、が……目的だ? ―――――――月村」
「自分の胸に聞いてみなよ? ……って、無理か。だから、こうなってるんだからね」

 ―――む。
 頼むから一人で納得しないで貰いたい。
 理解出来ないから、訊ねているんだ。
 ……俺が、何をした。

「恭也が悪いんだよ? 本心を見せないで、はっきりさせないでいるから」
「―――――――」

 そうか。
 それは、すまなかった。
 ならば、今から俺は感情を素直にして、日頃抑えていた言葉を世に創りだそう。
 そう、俺のお前に対する気持ちをはっきりと言おう。

 ―――その手に持っている鞭を離せ。
 ……時折、電流が流れているのは気のせいか? なぁ、月村。
 お前それ危ないから。頭良いから分かるだろ? もしかして沸いてんのか。
 その胸にいった栄養を少しは常識に使え。

 月村と目が合う。
 にやり、と悪女という形容が似合う笑顔で彼女は笑った。
 何処までも純粋で、何処までも残酷な笑みで。
 ……その笑顔に、背筋が一瞬凍る。怖っ。
 俺は……あんな笑顔を見たことは無い。いや、あんな風に人が笑えるとは思っても居なかった。

バシッ、バシッ。

 鞭の威力を確かめるかのように――2、3回自分の手に軽く打つ月村。
 そんな彼女に、神咲さんが近付く。

「し、忍さん! さすがに、そのぉ……その鞭は問題かと」
「そうかなぁ? ……ちゃんと動作チェックもしたし、誤爆の危険性は無いよ?」
「いえ、ですから……そういったものを使わなくとも、久遠がいますし……」



 ―――――――――。
 時間が凍った。
 神咲さんは今、何て言った―――?

 “久遠が居るから”
 そう、言った。それはつまり―――――
 どうせやるなら、久遠の雷で俺を討てと、言ったのか?
 ……何より、自分が居るから雷のダメージは癒す事が可能だ、と。

 頭の中に嫌なイメージが浮かぶ。
 雷、癒し、雷、癒し、雷、癒し、雷、雷、雷、雷、ノエルパンチ、癒し、雷、雷、雷、癒やっぱ雷、雷――――
 永遠に俺に電気椅子に座らせるつもりですか、神咲さん。
 問題なのは、貴方の頭だ。胸にいかなかった栄養は何処にいった? 逝ったのか。

 だが、月村の注意を惹き付けてくれたお陰で時間が稼げる。
 脱出するなら、今が好機―――!!!

 固く縛られた手足を、間接をずらすことで少しずつ動かしていく。
 目的はズボンのポケットに仕舞い込んでおいた、飛針。
 これだけは、隠し通す事が出来た。
 “斬る”という行為には向いてないが、不可能ではない。
 まずは、身体の自由を得られれば――――

「―――おっと、変な真似しちゃだめだよ、恭ちゃん」
「……まだ、貴様が居たか。……丁度良い、言いたい事が山程ある、覚悟は出来てるな?」

 俺の後ろに寄って来た、馬鹿弟子に視線を送る。
 射抜くような視線と、静かな殺気を忍ばせて、だが。

「……俺はこんな実践的な縛りを教えたつもりは無いが」
「え、えへへ」
「目を逸らすな。貴様は御神の何を学んだ?」
「え、えーっと……」

 ――――作戦成功率向上中。
 美由希は一度押されると、自分のペースを失う。
 視線を泳がせ、俺への言い訳を考えている間に、静かに作戦を実行していく。

「だ、だから――――ああ、もう、恭ちゃんが悪いんだよ!!!」

 ……結局、逆切れか。
 まだまだ、青い。

「そうか、すまなかったな……そして、眠れ」
「え――――――――」

 気配を消しつつ美由希に近付き、遠心力の加わった蹴りで足を払う。
 無論それと同時に、縄を切断し追撃。
 そして――――神速。
 一気にモノクロに染まった領域を、俺は移動する。
 光と音が消えていく世界。
 神経がチクリと痛むが―――無視。
 右膝も恐いが、それ以上に現状は危険だ。
 リビングを抜け、玄関を突き抜ければ――――
 ――と思った瞬間、世界が突然鮮やかに変わっていく。

 ――――っ!?
 何が。
 どうした。
 神速が解けた―――のか!?
 身体が耐えなかった――――筈は、無い。
 あれから、膝は順調とは言えなかったが、悪化はしていない筈だ。
 ならば―――。
 ―――――何故?

「ギリギリセーフですね……恭也君、逃げちゃ駄目ですよ」

 先程までの雰囲気で気付かなかったが、どうやら敵はまだ居たらしい。

「……フィリス先生。貴方も参加していたんですか?」
「ええ。恥ずかしながら」

 そう思うんだったら、参加しないでください。
 ……幼稚なのは身体だけだと思っ――――――がッ!!!
 体が――――と言うより、こ、股間が―――ッ!!!
 ちょ、ちょっと、種無くなりますからっ。畑耕せなくなりますからっ。

「何か、言いましたか?」

 ……言ってません、切実に。
 お願いですから心を読まないでください。
 そんなことしたら、ますます幼稚に――――ぁあああああ!!!

「……恭也君?」

 わ、分かってます。
 ……俺も学習能力が足りませんでした。

「す、すみませんでした……」
「いえ、分かってくれれば良いんです。……じゃあ、行きましょうか?」

 拷問から解放され、思わず安堵の息が出る。
 何か酷く理不尽な気がするが、しかし――――。

 ……先程のが、耕介さんの言ってたリスティさん伝授の最凶技か。
 この痛みは……耐性を付け様が無いな。
 だがしかし、フィリス先生。
 いくらリスティさんの真似をしたって、胸は―――――ああああ、痛、痛ッ!!!!
 弾丸枯れますからっ。俺のリボルバーが火吹かなくなりますからっ。

「……恭也君。一生入院させますよ?」

 ……結局、俺が気絶するまでこのやりとりは続いたらしい。
 口は災いの元だな。……俺は決して、口にしていないが。



「―――――という訳で、恭也にはいい加減に世の中の厳しさを知って貰いましょう」

 ……どういう訳だ。俺は未だに理由が分からないんだが。
 やはり、ここは逃げ出すしか――――。

「……恭也君」
「きょーやー♪」

 ……高町恭也拘束専門家が、俺のすぐ横で待機してるので無理だ。
 何時の間にか二人に増えてる、フィアッセ……恨むぞ。

「弁護人は何か?」
「……いえ、ありません」

 実に機械的にノエルが答える。
 ……ノエルは俺側だったのか、知らなかったな。
 少し救われた気がする。笑ってみてる母に比べてなんて愛情の深いコトか。

「……申し訳ありませんが、私は忍お嬢様側です」

 申し訳無さそうに、ノエルが言う。
 ……そうか。少し、寂しい。
 気が付けば心も読まれてたな、いい加減気を付けるとしよう。

「じゃー、最後に被告人。何か要望ある?」
「……電話を少し」

 こうなれば、最後の足掻きだ。
 足掻いて、足掻いて、足掻いて。俺は明日を掴み取る。

「んー、まぁ……そのくらいなら良いか」
「感謝する」
「じゃあ、晶とレン監視役お願い。フィリス先生と、フィアッセさんも一応用心はしといてくださいね」

 ……俺は最後まで諦めない。



「それじゃあ、おししょー」
「変なコトは、考えないでくださいね」
「……努力はしよう。………………冗談だ」

 特別措置として、俺一人での電話が許された。
 相手は勝利を確信してるのだろう。……その自信が、大きな問題だ。
 俺は携帯を取り出し、メモリに登録されている数少ない番号を呼び出す。



ププルルルル――――。
 
 電話先は、さざなみ寮。
 こういう時に耕介さんは頼りになる。
 ……もし、ある人が電話に出たら……俺は更に堕ちるだろう。

ガチャッ――。

『はいはーい。さざなみですけどー?』

 む。この声は……確か。
 記憶から人物を呼び出す。ああ、そうだ、我那覇さん……だ、な。


「高町ですが……我那覇さん、耕介さんはいらっしゃいますか?」
『えっと……耕介、さん?今、出れるのかなぁ……?』

 耕介さんは多忙らしい。
 ……困った。

『耕介さーん、電話ですけど出れますかー?』
『出る出る! 絶対出るから! ――――つー訳で、ちょっと待っててな』

 電話から遠いが、慌しい声が聞こえる。
 取り込み中なんだろうか。だとしたら、状況は改善しないな。

『はい、もしもし! ……っと、恭也君、どしたの?』
「何やら慌しそうですが……大丈夫なんですか?」
『ああ、ちょっと色々あってね……。少し逃げたかったから助かったよ』
「そうですか、あの、ですね―――」
『――あー、こないだ奈緒とも出掛けてたぞ、アイツ』
『って、ま、真雪さん! アンタ、何余計な事言ってんすか!!!』
『……否定しないんですね。耕介さん』
『いや、違うって、だから、あれは一緒に食事に行っただけだし……』
『それがよくなかです!! ……千堂だけなら大目に見ようと思いましたが……』
『ま、待ってって! 誤解だって誤解!!!』

 電話先が騒がしい。
 と言うか、俺だけ一人置いてけぼりだ。
 耕介さんがものすごい危機に立たされているのだけは分かるが。

『耕介さん……浮気したら殺すって言ったじゃなかですか……』
『――瞳ぃ? う……瞳が二人居る……う、あああ……』
『ほれ、神咲。十六夜と、御架月』

 ………………。
 とりあえず―――強く生きてください、耕介さん。
 耕介さんの断末魔が思いっきり聞こえてきそうなので、電話を丁寧に切った。

 参った。
 どうしたものか……。
 赤星は―――正直言って、対高町家では頼りにならない。
 となると―――――

 やはり登録されている数少ない番号を呼び出す。

プルルルル――――。

 恐らくこれがラストチャンス。
 ……頼むぞ。

ガチャッ――。

『はい、もしもし』
「あ、高町ですが……相川さんですか?」
『あれ? 恭也くん? 珍しいね、どうしたの』
「少し、お願いがありまして……」
『ん―――っと、ちょっと、待ってくれるかな? いづみが呼んでる』
「あ、はい。どうぞ」
『ゴメンね』

 今回は上手くいくかもしれない。
 淡い期待が胸に生まれる。
 はは、正義は勝つ。

『…………なーに? いづみ』
『この間、唯子と出掛けたそうですね』
『あれ? 確か言わなかったっけ』
『それと、小鳥とも。……後、岡本も一緒だったとか』
『…………ぐ、偶然会ってさ』

 ――――。
 酷く嫌な予感がする。

『……唯子は前々から約束してたって言ってましたが?』
『ゆ、唯子の勘違いじゃない? だって唯子だし』
『詳しく話してくれるよな? 相川』
『い、いづみ、戦闘モード入ってる……』

 相川さんの………………以下略。
 最悪だ。
 ……やれやれ、女性には誠実に向き合うべきだと俺は思うが。
 しかし、何処もかしこも似たような状況か。
 さて―――。

 ――どうする。
 頼みの綱はもう無い。
 覚悟を決める―――――――のか?

 俺は。
 俺は。
 俺は―――。



「………………恭也」

 途方に暮れていた俺に、声が掛かる。

「……美沙斗さん」
「私には何も出来ないから……これを」

 そう言って、美沙斗さんは俺に一つの皿を渡してくれる。
 皿の上に乗っているのは、今朝誰かが作っていた何か。
 誰が作ったかは明らかに分かるが、あえて言わないでおこう。
 ……もう、何かすら理解できないものまで作成可能なのか……奴は。

「迷ったら……一気に使うと良い。……それじゃあ、頑張るんだよ」

 美沙斗さん……。
 確かにありがたいと言えばありがたいのですが、母親的にその言動はどうなんですか?
 自分の娘が作った物で人が倒れると言う事実を、大いに活用して良いんですか?
 ……いや、大いに感謝はしているんですが。



「…………さて」

 一呼吸して、真っ直ぐ皿を見詰める。
 待っているのは天国か地獄か、それとも―――――――?

「……まぁ、いいか」

 今度は迷わない。
 迷う暇なんて無い。
 今度は後悔しないように、自分の道を選ぶだけだ。
 これを一口飲み込めば、俺は倒れるだろう。
 決断を先延ばしにしているだけかもしれないが、これも悪くない。

「…………とーさん、高町家は今日も平和だ」

 最後の最後で、俺は笑った。案外楽しかったのかもしれない。
 そして―――
 皿の上に乗った何かを、俺は口へと運んだ。



 薄れていく意識の中、とーさんが笑っている気がした。





(初版 2004/1/24)

(二版 2004/1/27)



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